銀座 マッサージの構造
一年もしてから、一カ月分を入れるようになり、そのうち入れなくなって、今では二年分滞っている。
本人に催促するたびに、「今は金がないのだよ。
一週間待ってくれないかね。 二カ月分を用意してお支払いしますから」と、低姿勢で約束する。
七日後に集金に行くと、「うまく金が入らないもので、すみません。 十五日には金の都合がつくと思うから、もう少し待ってください」僕の方も、見るに見かねて、家主に協力した。
三カ月滞納で請求書を出し、一カ月分を払ってもらったり、五カ月目で一カ月分を集金したりで、うまくいかなかった。 そういったことをやっている内に、とうとう多額の滞納となってしまった。
六カ月分滞納の時点で、僕はSさんに手これまたていねいに返答する。 その内、保証人の兄さんも失業したとかで、これも当てにできなくなった。
家主のSさんも、のんびり構えて、「払ってくれないのは、困る。 家賃が入らなくちゃ」と、口先では強く言うが、自分で催促する気持ちはない。
そうこうしている内に、少しまじめな奥さんが死亡し、それからというもの、まったく家賃を払わなくなった。 「もう、ダメですよ。
払いたくとも払えない状態にきていると思います。 宝くじが当たるわけでなし、待っても無駄ですよ。
だから、裁判にかけた方がいいですよ」「彼は、裁判は金がかかるでなぁ、気がすすまないよ」「じゃ、内容証明だけでも、出しておきましょうよ」「そうだなぁ、社長の言う通りかもしれん。 保証人もこけたし、毎月たまる一方だし、こんなことなら、早く出てもらって、次の人を入れた方がましだよ。
内容便を頼みます」僕は、内容証明の用紙を買ってきて、三枚複写で書き上げた。 「内容は事実通りですが、少しきつく書きました。
印鑑とか封筒を持って、本局の窓口に行ってください。 郵便局では、一枚を保管し、一枚はSさんの控え、もう一枚は相手方に書留便で出してくれますから」「すると、どうなるンだい?」「局に残るのは、公的な『記録謄本』ということになり、後々の訴訟では、確かに送達したという記録になります。
でも、ひとつ困ったことがあるなあ」僕は、郵便を受け取る側のことを考えていた。 それから七日たって、Sさんから電話が入った。
「あの件、うまくいきました。 いま郵便局からハガキが届いてね。
書類を受け取ったそうだよ」「良かった。 受け取ってもらえば、契約解除の意志を明確に伝えたことになります。
あとは、いつ室を出るか、ですね。 それとも、反論して内容証明をSさんに送ってくるか、ですね。
もう少し待たないとダメですね」「家賃も払わず、反論はないだろう。 文句の言えた義理じゃないよ」「注意してやりましょうよ」「彼が受け取ってくれないと、ダメになるのだ。
卑怯な奴は、受け取らないのだよ」「その時は、その時さ。 もう弁謹士に頼んで、裁判をやるしかないですよ。
最後の手段です」「とにかく、調停からやってみようよ。 内容証明便の方は、よろしく頼みます。
」「滞納者は別ですよ。 どうやってケリをつけるかというと、やってみないとわからない部分がありましてね。
追い出しは、私もやったことがないので、出たとこ勝負ですよ。 とにかく、前向きにやりましょう」文書で手続きしているのだから、余り騒がない方がいい、と思いながら、僕は話した。
「このままうまくいったら、次はどうする」「調停に入りますよ、Sさん。 市川市に簡易裁判所があるから、そこへ訴えましょう。
調停も弁護士に頼んだ方が早いけど、弁謹料をたくさんとられますよ。 調停だけなら素人でもやれますから、やってみましょうよ」「いいですよ、社長に任せます。
二年も待ったし、ここまできたら追い出すよ。 弁護士に頼むとどれくらいかかる?」「わりとかかるでしょう。
大きな事件じゃないし、立証の難しい事案でもないけど。 四十〜五十万ぐらいじゃないかなあ」「高いなあ。
それじゃ、頼めないよ。 たった四万五千円の家賃で、五十万払ったら赤字だよ。
どうせ家賃の滞りは回収できないし、弁護士費用もかかるし、計算に合わないよ」「プロだからね。 弁護士に頼めば、うまくいくし、確実だよ」Sさんの声は、いつもより小さかった。
「もし調停なら、どのぐらいの期間でケリがつぐのだい?」「さあ、はっきりしないけど、二カ月ぐらいかなあ。 相手が悪いと出てこないから、三力月住人からは、何の動きもなかった。
Sさんは、また請求書を出して、滞納分を払うように催促した。 文書の末尾に「もし七日以内に支払わなければ、裁判所に訴えます」と書いた。
それから十日たっても、やはり先方からは何の返事もなく、何の動きもなかった。 「やっぱり予想した通りか。
払う力もないし払う意志もない、ということかな」僕は、経験がないので、人から聞いたことをあいまいに述べた。 事実、八百戸のアパマンを管理していながら、裁判に至るケースは一件もなかった。
運がいいというか、上手にやっているというか、幸せなことである。 「社長。
調停の場合は、どういう書類がいるの?」「聞いてあります。 家主側は、土地建物の評価証明と住民票に印鑑です。
それに賃貸契約書や明細書等ね。 申立書に四千円ぐらいの印紙を貼るけど、窓口で買えばいいよ」「わかりました。
早く申し立てようか」「そう、早く出てもらいましょう。 早く空けば、次の人を入れて、家賃も入るというものです」火曜日に一緒に行きますか。
「確か、この辺に川があったよねえ。 春は土手の桜が、見事に咲いていたよ」「今は、ないですよ。
河川改修で、みんな切られてしまった。 みんなに愛された老木だったのに、惜しいことをしました。
木をいじめないで、川を二階建てにできたのにねえ」川の先を曲がると、ショッピングセンターが見えてきた。 「さあ着きましたよ。
この小さな建物が、裁判所です」「看板があるから、まちがいないな。 大きなショップに、小さい裁判所か」「経済効果の法則ですかね。
利用して得する店と、利用したくない役所との差かな。 とにかく入りましようか」当日は、小雨が降っていたが、道路はすいていた。
F市から裁判所まで、三十分かかる。 車中窓口の受付係に理由を告げるとたいした説明も受けずに二枚の紙を渡された。
「結構です。 向こうの机で記入して、終わったらまた窓口へ来てください」さすが係員は、無駄のない言い方をした。
窓越しに内部をのぞくと、若い事務員が六人いて、静かに仕事をしていた。 物音ひとつしなかった。
「へえ、こんなものかなあ。 なんだかお通夜に来たみたい。
どの壁も飾りがなくて、コンクリートそのものだね。 殺風景というところだね」初めて裁判所にきたSさんは、意外に感じたようだ。
「私も、若い頃は弁護士志望でした。 もしなっていたら、毎日こんな所で働くのかな。
裁判官なら、この堅苦しい部屋に閉じこもることになるね」僕は、何とも言いようのない感慨にかられた。 若い頃、弁護士を目指して数年間みっちりやったが、試験には落ちた。
気力だけがあって、体力もなく金もなく、貧しい学生であった。 それに、女と付き合うことばかり考えていたので、集中力もなかった。
僕の青春は、貧しさの一言につきる。 だから、金持ちになる必要があった。
弁護士が夢の実現の手段となる。 もし夢が実現されていれば、毎日このような部屋に来るだろう。
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「確か、この辺に川があったよねえ。 春は土手の桜が、見事に咲いていたよ」「今は、ないですよ。
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気力だけがあって、体力もなく金もなく、貧しい学生であった。 それに、女と付き合うことばかり考えていたので、集中力もなかった。
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